LIFE IS CHALLENGE。
2017年2月1日。
20代の頃から思い描いた海外移住を当初の計画よりも約10年遅れてなんとか実現した。
その間には、本当に色々なことがあった。
そのうちに移住は僕の中で具体的な目標から、いつのまにかいつか叶えばという夢になっていた。
実現できなくてもしかたがないやという夢へ。
もう移住することは僕の人生ではないだろうなと思い始めていた。
2012年5月8日。
自分の会社でランチを食べながら、布袋寅泰さんのブログにMac Book Airでアクセスした瞬間だった。
LIFE IS CHALLENGE。
と題されたブログに書かれた、ロンドン移住の決意。
自身の30周年ツアーで解禁したBOØWYのDREAMIN'という曲を観衆に歌っている自分自身が夢を諦めていないか。
と自分に問うようになって20代の頃に思い描いた英国での挑戦をしようと決意したというブログの内容だった。
50歳を過ぎての海外でのチャレンジ。
アルバムを作って、ツアーをして。を繰り返していれば成功を約束されているはずの人生を捨てて挑戦をしようとしている僕の10代の頃からのアイドル。
自分だけではなく家族、スタッフやスタッフの家族。たくさんの人を巻き込んでしまうチャレンジ。そして今まで築いてきた日本での実績。
それらすべてをリセットしての挑戦は、それは家族の心配と自分の収入だけを心配すれば良い一般の人の比ではないほどの困難なチャレンジであるはずだ。
僕は心を強く打たれた。
僕の海外移住は夢で終わらせて良いのか。
夢を夢のままで終わらせる人生でいいのか。
僕のスイッチは入った。
でも、僕にはそれを実現できるお金がなかった。
そして、どうすれば実現できるのか想像もできなかった。
2015年6月1日。
渋谷公会堂で、高城剛さんの「旅は、人を幸せにするのか」というトークライブがあった。子供二人を母に預かってもらって妻と二人で行ってきた。
LCCによって世界中の人が世界中に移動を開始して、僕が10代、20代の頃に訪れた自然豊かな南の島がすごい勢いで開発されていることを知った。
ずっと僕はいつかは南の島に住みたいと思っていた。
でも、それが実現した時には僕が思い描いている南の島はもう間違いなくなくなっているはずだ。
僕は、帰りの車の中で妻に本気で、
「もう待ったなしだ。行動を開始しよう。」と熱く語った。
2012年からの3年間の間に自分でも奇跡としか思えないほどの復活を遂げていた僕には、お金も時間もあった。
でも、具体的にどこにどうやって移住して良いかわからない。
2015年7月21日。
朝、大学サッカー部の親友、友近君から1通のメール。
「ハワイの不動産セミナーがあるよ。」
と。
赤井誠と行く「ハワイ不動産セミナー&物件
というその転送された案内メールを見た1秒後に僕は申し込みフォームに記入を開始した。そして参加費の振込みもすぐに終えた。
妻に相談をしていなかったけれど、「ハワイだから一緒に連れて行けば文句はないだろう。ちょうど結婚10周年&1棟目のビルの借入完済ということでその記念と言えば完璧だ。」と思った。
ちょうどその頃の僕は、不動産投資では物件を購入できるレベルはクリアして、次のステージとして赤井さんのように財務にこだわって投資をしたいと考えていたので2015年の2月に僕は赤井さんのセミナーに参加するためだけに札幌まで行っていたのだ。
でも参加者は100人以上でとてもではないが落ち着いて質問をできる状況ではなかった。それにそんな時に赤井さんと話してもその他大勢のうちの一人としか認識されない。そういうのは僕は嫌だった。
高額なセミナー参加費と旅費、そして時間、これだけのものをクリアしてハワイに行ける人は決してそう多くはないはず。だからハワイの不動産もそうだけれどハワイに行けば、赤井さんとゆっくりと話ができると思った。
2015年11月。
ハワイでは運命を変える出来事だらけだった。
初日のセミナー後の夕食会で健美家の社長とお話しさせていただいた時に、「張田さんという方は、マレーシアに移住していますよ。」と教えてもらった。この時に、初めて張田さんを知った。
(でもその時は、マレーシアは僕の中では「ないな。」だった。昔シンガポールに住んでいた時にジョホールバルで食中毒になったのと、食事も文化も中華系が強いシンガポールと比べて、マレー系が強いマレーシアは僕にはあまり合わなかったから。)
そして、「お仕事はお休みされて来たのですか?」と声をかけてくれてはじまった編集の方との出会い。この出会いがなければ、今も僕は群馬の田舎で変わらない毎日を過ごしていたかもしれない。
赤井さんと親しそうに話をしていた現地の綺麗な女性を見て、赤井さんのように不動産投資も男性としても成功すると誓った。笑(でも、そのロコガールにしか見えなかった女性は赤井さんの奥様とあとで聞いてびっくりした。)
最終日夜のエバンさんの自宅でのバーベキューが僕の海外移住のイメージをリアルにし、欲望に火をつけた。
2016年3月。
健美家コラム第5話でも書いたマレーシアで張田さんに会ってもらったこと。
https://www.kenbiya.com/column/hirota/05/
張田さんの自宅の窓から見えたマレーシアの海を見ながら僕もこの海を眺めながら、健美家のコラムを書くと誓ったこと。
マレーシアの中でもペナン島は例外的に食事も文化も中華系色が強い。僕が滞在していた1999年のシンガポールに似た印象だった。
赤井さんはハワイのことを奇跡の島といったけれど、僕にはペナン島がハワイのように思えた奇跡の島だった。
ここに移住しよう。
一瞬でそう思った。
2017年8月。
実は、昨年12月末に妻のお父さんが亡くなり予定していた4月からの家族での移住は延期となりました。(でも4月に移住を計画していたので2月から賃貸契約をしたのです。)
なので僕は今年に入ってペナンと日本を行ったり来たりしていましたが、いよいよ数日後。
新盆を終えてから、家族4人で一緒にペナンへ。
思えば海外移住をするための金銭的な問題をクリアしても、さらなる壁がありました。
メンタル的なブロックです。
本当に海外に住んでいいのか。
今までの人生も仕事も自分なりに丁寧に積み上げてきたつもりでした。
決して簡単に捨てられるほど軽いものではありません。
そして移住することで家族の人生まで狂わせてしまうことになってしまうのではないか。
本当にそれでいいのか?
そんな声がいつも聞こえてきます。
それは出発の日が近づけば近づくほど僕にリアルに問いかけてきます。
しかし、そんな時に思い出すのは僕のアイドルの
LIFE IS CHALLENGE。
というあの日のブログ。
1度きりの人生です。
怖いのは何かに失敗することよりも、いつまでも本当の自分の人生が始まらないこと。
半年で日本に帰ってくることになるのか、永遠に帰ってこないのか。
今は全くわかりません。
そんなことは考えずに今はただ、
家族4人で南の島に住む。
それを数日後に叶えることができる幸運と、
それまでの数々の出会いに深く感謝を。