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時計を外して③

94年初夏。

 

ツボタさんと初めて会ったのは、大学一年生のサッカー部の練習が休みの日のとても暑い午後の日のことでした。

 

クラウディースプーンという青梅街道沿いのコンクリート打ちっ放しのマンション203号室に住んでいた僕は、自分の部屋の玄関を開けて短パン1枚で自転車を磨いていました。

 

気持ち良い風がベランダから玄関にかけて抜けていくので玄関を開けておいたのです。

 

それが、ふとした時に強い風でオートロックの玄関が閉まってしまいました。

 

上半身裸の短パン1枚で他に何も持たずに玄関の外に置き去りになってしまった僕は、しばらく呆然と立ち尽くしながらも意を決して駅前の不動産屋さんまで自転車で全力ダッシュで行こうと決めました。

 

幸いにも運動部の学生が多い東伏見という土地なので、初夏の午後に上半身裸で自転車に乗っている学生が1人くらいいても平気だろうと。

 

不動産屋のおじさんも僕が運動部だって知ってるから、突然裸で行っても事情を話せば大丈夫だろう。

 

 

 

その時に、ふと「いい体してるね!何か運動でもしてるの?」と後ろから声がしました。

 

マンションのエレベーターから降りたばかりの明石家さんまさんに似た雰囲気をしたお兄さんが僕の部屋の前に向かって歩いてきました。

 

「サッカーをしてます。いま、部屋の鍵を持たずに玄関が閉まってしまったんです。」

 

「そっか。僕は201号室のツボタといいます。よろしくね。ベランダの窓の鍵はかかってる?」

 

「いえ、空いています。」

 

「じゃあ、僕がベランダから部屋に入って玄関を開けてもいいかな?」とツボタさんは言いました。

 

ツボタさんはとび職をしていて、車にハシゴがあるからと言って、ベランダにハシゴをかけてスルスルっと登ってわずか数分の間に僕の部屋に入って玄関のカギを開けてくれました。

 

あまりの軽い身のこなしと仕事で鍛えられた細く筋肉質な身体、そして初めて会ったばかりの年下の僕に対する柔らかい物腰、僕は一瞬でツボタさんのファンになりました。

 

「ところで、君はサッカー部に入れるなんてすごいね。」

 

「いえ、まだテストに合格していないので、合格に向けて頑張っている毎日です。」

 

「ああ、そうなんだ。じゃあ、がんばってね。」

 

ツボタさんはそう言って爽やかに去って行きました。

 

 

僕はツボタさんの優しさに本当に感動しました。

 

 

20年以上経過して今もハッキリとあの日のことを覚えているくらいに。

 

 

 

それからも僕の部活の帰りとツボタさんの帰宅が重なってお会いした時、1ヶ月に1回くらいでしたが、ご挨拶をしていました。

 

 

その後、僕はなんとかサッカーの入部テストにパスすることができたものの地獄のような真っ黒な毎日は続いていました。

 

 

明日こそはやめてやる。

 

 

ある日、そう思って部屋を出て夕食を食べに行こうと僕がエレベーターに向かうと、エレベーターからツボタさんが出てきました。

 

 

ツボタさんは、仕事から帰ってきたタイミングみたいで手にはおそらく夕食が入っていると思われるマンション近くのファミリーマートの袋を持っていました。

 

 

「おお、広田くん。その後どう?」

 

 

「おかげさまでサッカー部に入部できました。でも、あまりにも厳しくてもう限界です。やめたいやめたいと毎日思っているんです。」

 

 

ツボタさんは、少し残念そうな顔をして、それから何かを思い出したように、コンビニの袋から何かを取り出しました。

 

 

「そんな時は、この本を読んでみたらいいよ。じゃあね!がんばって!」

 

 

僕の手に文庫本を手渡して、それだけ言い残すとすぐに部屋に向かって歩いていってしまいました。

 

 

 

コンビニで買ったばかりの本だったのでしょうか?

 

 

それとも読みかけの本だったのでしょうか?

 

 

今となってはそれは分かりませんが、僕はツボタさんから1冊の文庫本をいただきました。

 

 

次回、時計を外して④に続きます。

 

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家族でペナンに移住して1ヶ月が経ったお祝いに、シンガポールに行ってきました。

 

ペナン島からシンガポールまで1時間20分の直行便で、チケット代は往復で1万円もしません。

 

夢のような生活です。

 

 

夢を諦めきれない男たち。 〜時計を外して。②〜

「今から20年後、30年後、40年後には人生は終わるんだ。やるしかない。」リップス(アンヴィル

 

 

 

かつて若い頃に

 

 

 

同じステージで一緒に共演したこともある

 

 

 

ボン・ジョヴィガンズ・アンド・ローゼズ

 

 

 

世界的なロックスターに。

 

 

 

 

 

「ロックスターになるんだ!

 

 

バカな夢だが絶対に

 

 

叶えてやるんだ。」

 

 

 

と、50歳を過ぎてなお、

 

 

感情を抑えきれずに

 

 

自分の想いを込めて

 

 

テーブルを拳で叩く。

 

 

 

 

 

給食の宅配員と

 

 

 

建設作業員をしながらも

 

 

 

バンドを続けている2人。

 

 

 

 

 

彼らは30年もの

 

 

 

気が遠くなりそうなほどの長い間、

 

 

 

それでも夢を諦めない。

 

 

 

 

僕は、

 

 

この映画のDVDを

 

 

約1年ほど前に

 

 

レンタルして観た。

 

 

 

 

 

僕は、

 

 

 

僕の人生が終わるときに、

 

 

 

自分が良くやったと

 

 

 

言えるだろうか。

 

 

 

 

 

家族と

 

 

 

生活と

 

 

 

少しの遊びの為だけに、

 

 

 

お金を稼いで人生が終わる。

 

 

 

 

そんな人生で良いのだろうか。

 

 

 

そんな人生を過ごすために

 

 

 

僕は生まれてきたのだろうか?

 

 

 

僕は冗談じゃないと思った。

 

 

 

 

 

僕はそれまで

 

 

 

映画のDVDなんて

 

 

 

買ったことがなかったけれど、

 

 

 

この映画のDVDは買わずにはいられなかった。

 

 

 

 

いつも手元に置いておき、

 

 

 

彼ら2人の燃えるような情熱に

 

 

 

いつでも触れられるように

 

 

 

しておきたかったから。

 

 

 

 

 

ここまでは、2011年7月に僕が書いたブログです。

 

 

 

 

この「アンヴィル」という映画を観た2010年ごろの僕は金銭的にも精神的にも人生のどん底で、DVD1枚5000円を出すお金もなかったほど。

 

 

 

それでも、この映画のDVDは買わずにはいられなかった。

 

 

 

50歳を過ぎてまで、自分の人生を諦められずに夢のために肉体労働をする2人。

 

 

 

ここまで自分の夢に本気になれるだろうか。

 

 

 

みんな、どこかで自分の夢に折り合いをつけて、夢見た人生とは違うウソの人生を送る。

 

 

 

7年前の自分と比べて今の僕は?

 

 

 

お金も時間も得た。

 

 

 

好きなことも、

 

 

好きな食べ物も、

 

 

好きな場所へも

 

 

思いのまま。

 

 

 

 

いつでも、

 

 

どこでも

 

 

なんでもできる。

 

 

 

 

そんな自分になれたのに、

 

 

 

今の自分はいったい何をしているんだろう?

 

 

 

 

7年前にお金がなかったときに、

 

 

 

お金ができたらやろうと思っていたことって、

 

 

 

こんな程度のものだったのだろうか?

 

 

 

 

泥だらけになってでも

 

 

もう一度、

 

 

挑戦したかったことがあるんじゃなかったのか。

 

 

夢を、

夢で終わらせてしまう人生で良いのだろうか?

 

 

 

この映画を観たときの心震えるような想いをもう一度胸に、次回、時計を外して③に続きます。

 

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写真はネット上から。いつも僕は自分が撮った写真しか使いませんが、今回はDVDの裏側のジャケット写真である僕が大好きなこの写真以外にタイトルを表せる写真がないのでこちらを使用しました。

 

泥だらけの日々。 〜時計を外して①〜

今回でブログ10回目となりました。

 

1回1500字前後で1つのテーマを決めて、サラリと軽快に読みやすいものを週に1回書きたいなと思って始めました。

 

が、始まってみたら、今の僕にそんなサラリとした文章を書ける能力はなくて、いつの間にかドロリとした泥臭い内容と長い文章になってしまっていました。

 

そこで、開き直って今回から少し泥にまつわる話を。

 

この話はちょうど1年前の健美家コラム第14話に書いた伊集院静さんの「時計を外して」という本の話につながります。

 

僕は本当はおぼっちゃま系の大学に行きたかったことは以前のブログで書きましたが、僕的にはビリギャルをも上回る努力と奇跡で早稲田大学に合格しました。(僕の中ではビリギャルを認めていないのでまだ観てません。)

 

1994年4月。

 

大学生活が始まったばかりの頃に大学の掲示板の前で、周囲の存在感とは別次元の光り輝く人物を見つけました。

 

高校サッカーで有名だった愛媛県南宇和高校の友近君でした。

 

スポーツをする高校生にとって、夏の甲子園と双璧をなす冬の全国サッカー選手権大会で2年生の時にベスト4に進出し、2年生で一学年上の有名選手ばかりが選ばれている日本高校選抜に選ばれた男。

 

僕ら昭和50年生まれの中では、当時は後に日本代表で活躍する城選手や川口選手よりも有名でした。

 

彼ほどの人物だから前の年に始まったばかりのJリーグに行くと思っていましたが、早稲田に進学するということが春休みに読んだサッカー雑誌に書かれていました。

 

その彼を僕は、大学の掲示板の前で見つけたのです。

 

僕は思わず、「友近君だよね?」と声をかけてしまいました。

 

今思えば、僕の人生初のナンパでした。

 

あの時から今も続く彼との関係を思うと、あの時の出会いって物語みたいに決められていたのかなと思います。

 

さて、しかしその後、そんな出会いがあったのに僕は足を怪我していたこともあったりしてサッカー部の入部テストを受けることを諦めました。

 

そのことを群馬にいる父に電話で報告したところ、とても残念がっていました。

 

が、僕は大学ではサッカー部に入らない。その時はそういう人生を選びました。

 

そしてその後、群馬の同郷の先輩が立ち上げたサッカーサークルに声を掛けてもらい入りました。

 

てきとうに練習をして飲みに行って誰かの家で昼まで寝て。ただひたすら楽しい毎日。

 

ゴールデンウィークには河口湖でサークルの合宿まで経験しました。

 

しかし憧れていたはずの、楽しいはずのサークル生活も1ヶ月もしないうちに虚しさを感じるようになりました。

 

どんなに苦しくても本気でサッカーをしたい。

そのことに気がついた時には、もう手遅れでした。

 

もうサッカー部の新人募集の期間は終わっていました。

 

しかも、僕らの年は15人前後の枠に全国から足に覚えのある100人近くの希望者がトライして皆途中で入部テストの苦しさに諦めて去っていったと、テストを受けて挫折して帰ってきたばかりだという同じサークルに入ってきた同じ1年生の話を聞きました。

 

僕の大学生活はこれからどうなってしまうんだろう。

 

ゴールデンウィーク明けに、大学の体育のサッカーの授業が僕の自宅近くの東伏見のグランドで行われました。

 

せっかく父と探して決めたサッカー部に入る前提で借りた、サッカー部の練習が行われる東伏見のグランドの近くの僕の一人暮らしの部屋も、サッカー部に入部できない今の僕にとっては何の意味もありません。

 

そんな虚しさを感じながらも出席した体育の授業レベルのサッカーで僕はダントツでした。面白いように1人で突破してシュートを決めて。

 

特に、授業終了直前に左足のアウトサイドでゴール右上隅にカーブをかけて入ったゴール。

 

僕の人生で最も美しかった奇跡のようなゴールでした。

 

いえ、実際に奇跡を起こしました。

 

授業が終わって全員の前で、体育の先生に声を掛けられました。

 

「おまえは、どこでサッカーをしていたんだ。」

 

「なんでサッカー部に入らなかったんだ。」

 

僕は、

 

「足を怪我していて入部テストは受けられなかったが、サッカー部に入れるなら入りたい。」と先生に伝えました。

 

そうしたら、周りも騒然とした一言が。

 

「俺が言ってやるから、お前はグランドに残れ。」

 

その先生は後で知ったのですが、サッカー部OBの中でも有名な吉田先生という人でした。

 

当時のサッカー部の監督であった松永監督に、「アキラ、こいつ速いからサッカー部に入れろ。」なんてことを言える人はなかなかいません。

 

でも僕はその一言で、僕はサッカー部に異例の合流をすることができました。

 

でも、そこからが地獄の始まりでした。

 

特別扱いで入部するチャンスはもらいましたが、入部テストを受ける権利を得るための新人走りが待っていました。

 

それだけではありません。ほかの1年生と同様、朝早くからグランドに出て夕方の練習開始までひたすらグランドを整備する毎日。

 

雨が降って泥だらけの田んぼのような、ときにはアスファルトのように硬くなったグランドをとにかく上級生が最高の環境で練習できるように何時間もトンボをかける。

 

小石が1つでもグランドにあったら、練習後に新人特訓という脱走者が出るほどのシゴキが待ち構えていると脅かされながら。

 

練習前に、グランド整備で体力も気力も使い果たしているのに練習が始まったら、今度は入部テストの資格を得るために、ただひたすら走らされる。

 

練習が終わったら、また終電近くまでグランド整備。

 

それが終わったら、日付が変わりそうな時間に入部テストに向けて誰もいないグランドで走り込み。

 

それが終わったらグランドの照明を消して、ボロボロになった身体をグランドの隣にあったラグビー部と一緒に使っていた風呂に入って帰る。

 

特に僕の一人暮らしの部屋は、ユニットバスでしたから、足を伸ばして肩まで浸かれるグランドの風呂はありがたいものでした。

 

しかし、サッカー部、ラグビー部の先輩達が何十人も入り終わった最後の風呂は真っ黒の泥だらけ。

 

シャワーだけで帰った方が綺麗なのですが、疲れた身体から少しでも疲労を取り除くために汚いのを承知で泥風呂に浸かる。

 

それでも先輩達もいない風呂は心からリラックスできる唯一の時間で、当時はそんな泥風呂が天国に思えました。

 

今となってはよくあんな汚いところに。と思いますが、同時に、あんなに汚くて臭くて仕方がなかった泥風呂が懐かしくて恋しくて思い出すだけで涙が出そうになります。

 

話を戻すと、朝から晩まで文字通りずっと泥だらけな毎日でした。父から体育会の1年は奴隷と同じだからと言われていたから覚悟はしていましたが本当に毎日が限界でした。

 

全てが終わって、一人暮らしの部屋に戻るとベッドに倒れて泥のように眠ります。

 

ある晩、遠くから音が鳴っているのが聞こえました。

 

しばらくしてそれが夢の中ではなくて、玄関のチャイムだと分かりました。

 

 あまりの疲労にしばらく放っておいても、そのチャイムは鳴り止みません。

 

夜の1時を回っていたと思います。

 

玄関のドアを開けてみると、サークルの先輩や仲間達が10人くらいいました。

 

そしてサークルを立ち上げた同郷の先輩、達也さんが酔っ払ってベロベロになりながら「健太郎をサッカー部なんかにやらねえぞ。」と熱く大声で叫びます。

 

今から考えると僕は本当にあの時の皆さんに失礼でしかなかったのですが、思いっきり迷惑そうな顔で「疲れているんです。」と言い放ちました。

 

それでも達也さんが熱くサークルに戻れと叫びます。周りの人たちが達也さんを止めながら、「健太郎はサッカー部に入るために頑張っているのだから帰ろう」と言ってくれました。

 

その日はそれで終わったのですが、今思うとなんで一言お礼を達也さんに言えなかったのだろうと思います。

 

達也さんは、同じ群馬の後輩に自分のつくったサークルを将来的には託したかったのかもしれません。

 

本当に1ヶ月だけでしたが、達也さんには可愛がってもらいました。

 

そんな先輩にあんな態度を取ってしまったなんて。わざわざ僕のために来てくれたのに。

 

少し話は飛んでしまいますが、あの94年から20年後の2013年。

 

ある日ヤフートップニュースに、AKBの大堀恵さん結婚という記事を見つけました。

 

アイドルグループに興味のない僕が珍しくクリックしてみると、放送作家金沢達也さんと結婚。という記事でした。

 

まさか、まさかとは思いながら写真を見てみるとあの日僕をサークルに戻そうと僕の家にまで来てくれた達也さんでした。

 

さて、もう今回は3500字を超えたので次回に続きます。

 

僕の泥だらけの日々はまだまだ続きます。

 

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ロードマップを持っていますか?

今回ブログを書くと決めた時に1年間は続けようと思いました。

 

今まで何回ブログを立ち上げたか分からないです。でも、やろうと思った時の目的を達成すると終わりにしてしまうのです。

 

今回はブログを始める前、ペナンへ向かう飛行機の中でノートに52週分のテーマを書き出してみました。

 

そこで52個書きたいテーマがあったので、じゃあ続けられる、始めようということにしました。

 

でも、テーマ通りに書いたのは2回くらい。あとは、その日の気分で書いています。

 

健美家コラムのオファーを頂いたときも、1年24回分のテーマを書いてみました。

 

起承転結みたいに、自分で1年の流れとか季節とかを考えながら、ここでこういう流れを作ってこうやって、ああやってと。

 

でも、その通りにできたのは最初の3回くらい。

 

どうしても毎日自分の考えることは違うし、色々なことが起こるし、起こすし、1番最新の自分が考えていることや感じていることを書きたいから、ストックとして書いておいても次の週に読んだら、つまらなくなってストックしておいた文章を捨てたりもしてしまうし。

 

でも捨てるのに惜しいのは取っておくと、しばらくして読んでみて半分くらい変えたら面白くなるなとか思えたり。

 

だからいまは、とにかく仮に使えないとしても大量のデモテープを作ることに専念しています。

 

いまの気持ちや感性は今しか残せないわけで。

 

音楽アーティストが大量の楽曲を作っているイメージです。

 

これらのデモテープがいつの日かミリオンセラーになることを夢見て。

 

テープではないから、デモノートかな。

 

話を戻します。

 

僕は何かを始める前に、最初にお話ししたようにその時の自分なりのロードマップを作ります。

 

でも、ほぼその通りに進まない。

 

でも、僕はそのロードマップを作ること自体が大切だと思っています。

 

それを作るから全体のイメージができる。

 

そして、それを超えようと思うから違うことをやってみる。

 

やってみて、これはマズイと思ったら当初計画したロードマップに戻れば当初計画した最低ラインはクリアできる。

 

僕は文章を書くということを誰にも習っていないし、そういう講座に行こうとも思わない。

 

僕らしさがなくなってしまうだろうから。

 

10のうち9がダメでも、1がとびっきりにカッコイイ。

 

高校サッカー部の先生にもFWは10回勝負して最後の1回に勝てば良いと言われて僕は育った。

 

平均的な文章ではなくて、極端に自分の主張を貫く文章。

 

そして誰にも媚びず、誰とも群れない文章。

 

そんなのを目指してます。

 

もう一度、話を戻します。

 

当初、自分が立てた計画通りに進まないのはコラムやブログだけではありません。

 

不動産投資もそうでした。

 

人生計画もそうでした。

 

でも、計画通りにいかないからといって、計画を立てなければ、それが計画通りにいったのかいってないかも分からなくなる。

 

だから、僕は計画を立てることは絶対に必要だと思ってます。

 

時には何日もホテルに缶詰めになって1年間の計画を立てて、そこまでして立てた計画なのに立てた後は無視します。

 

その時の自分が完璧に立てた計画だけど、立てることに意味があって、それに従うことはつまらない。

 

人生もビジネスも自由。

 

子供のように自分の感情に素直に従う。

 

その時その時の直感や気持ちに従って、嫌なことはしないのです。

 

でも、数年してから振り返ると、その時は脱線しているようでも、大きく遠回りをしながらも、その計画を達成しているから不思議です。

 

 

今回は計画を立てて、あえてそれに従わない、しかし数年後、なぜかその計画を達成しているということを書いてみました。

 

僕の11月25日午前中のセミナーでは、そんなことをお話ししたいなと思ってます。

 

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さらなる買付けを。

ペナン島に家族が移住してきて1週間が過ぎた。

 

旅行と住むということは全く違うわけで、妻も子供たちも初めての海外生活を本当にがんばっている。

 

家族みんなで夜早く寝て、朝早く起きる生活。

 

テレビは日本の地上波とBSを見られるような環境にはしたけれどほとんど見ない。そんな余裕がない。

 

wifiの速度も速いやつを契約したけれど、必要な時以外はほとんど使わない。

 

朝6時前のコーランで目を覚まし、子供たちは送迎バスで日本人学校に向かう。

 

毎朝バスの中からペナンの海の地平線から昇る太陽が本当に綺麗なんだよと長男は言う。

 

僕は、朝起きて毎日貸し切り状態のプールに入って1時間ほどゆっくりと泳ぎながら1日を始めるスイッチを入れる。

 

昼は妻とランチを食べに行って帰りにショッピングをして自宅に戻る。

 

部屋を抜けていくペナンの気持ち良い風に心からの幸せを感じる午後。

 

ソファで本を読みながら子供たちの帰りを待っている間にいつの間にか寝てしまう。

 

そして、帰ってきた子供たちに起こされてまた子供たちとプールに。

 

そして夕方は日没のコーランを聞きながら、空全体が紫色に染まる夕焼けに心を奪われる。

 

夕食を食べて、子供たちが宿題をする横で本を読んだり日記を書く。

 

就寝のコーランが聞こたら家族全員で寝室に入って1日を振り返りながら穏やかに眠る。

 

夢にまで見たシンプルで最高な毎日を僕は送っている。

 

しかし、それは今までの努力で成し遂げたこと。

 

僕は、子供たちにもう一度親として男の生き方を見せたい。

 

そして、子供たちにも毎日の生活に慣れてきたら何か1つ新しいことに挑戦して欲しいと考えていた。

 

今日の午後、ランチを食べ終えた後に長男がバスケットボールを買って欲しいと言ってきた。

 

実は僕は今年の3月まで日本でサッカースクールを7年間ほど主宰していた。

 

僕の長男も幼稚園からずっと僕のサッカースクールに通っていた。

 

でも、僕は全くといって良いほど彼にサッカーを詰め込まなかった。

 

そのせいか、彼はあまりサッカーが上手くない。でも僕はそれで全然構わないと思っていた。

 

そして、僕のサッカースクールが終わってから彼はしばらく何もしなかった。

 

僕も妻も放っておいた。彼が何かをやりたくなるまで。

 

そして、彼が自分で今日バスケットボールが欲しいといってきた。

 

僕は彼が新しくやりたいことを見つけたことがとっても嬉しかった。

 

スポーツ店で彼が選んだボールは、マイケルジョーダンが黄金時代を築いたシカゴブルズを思い起こさせる真っ赤なナイキのボール。

 

もっと安いやつを。

 

と長男は気を使って言ってきたが、値段ではなくて自分が本当に気に入ったものを。テンションが上がるやつを。そして本当に良い品質のものを。

 

僕の父親も僕に1番最初に野球のグローブを買ってくれた時に本革の最高級グローブを買ってくれた。

 

何事も最初が肝心で、最初に本物を。それがスタンダードになる。

 

いつやめるかわからないから、1番安いやつで。という考え方は僕は嫌いだ。

 

だから、すぐやめるんじゃないかな。

 

 

自宅のコンドに戻ってきたら、チャイニーズ系の中学生のお兄さんたちがバスケットコートでバスケをしていた。

 

僕は「仲間に入れてもらってくれば。」と長男に言った。

 

長男は「最初だけパパお願い」といってきたので、僕が中学生のお兄さんたちに「彼は今日初めてバスケットボールを買った初心者だけど、一緒に遊んでくれない?」とお願いしてみた。

 

彼らは笑顔で歓迎してくれた。

 

長男に後は自分の力で何とかやるように言って僕は去った。

 

僕もシンガポールでは最初はこうやってを始めたものだ。いきなりプロのグランドでプレーできたのではない。1ヶ月くらい色々な公園で草サッカーをしたものだ。僕が22才の時の話。

 

長男はまだ11才だが、バスケットボールを初めて買った日に外国人の180センチ以上あるお兄さんたちとプレーをした。

 

始まりとしては僕以上じゃないかな。

 

そんな彼に押されて僕は今日の夕方、また一件の買い付けを入れた。今回は初めてのアパート。

 

本当はもう完全にリタイアと思っていたけれど、挑戦していない僕は僕じゃない。

 

そして、何よりまだまだ子供たちに負けてはいられない。

 

 

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僕のセミナーについて。

僕の運命のスタバという話を知ってくれている人も多いと思います。

 

2009年かな?ある日の夕方から夜までジム鈴木さんと数時間スタバでコーヒーをしながら色々とお話をしたのです。

 

しかし実は、その運命のスタバの前に午前中と午後の半日をかけて人生計画セミナーというものがありました。

 

(そのセミナーにジム鈴木さんも参加してくれていて、そのセミナーの後にスタバに行ったのです。)

 

僕が主催をしていた毎月の勉強会の特別版で自分の人生計画を作成して発表するというものでした。

 

あの日に恥ずかしくも参加者の前で、自分の人生の目標を日付入りで誓いました。

 

そして今度11月に僕は自分で主催をして自分が話す不動産投資セミナーをやることにしました。

 

僕の健美家コラムを読んでくれている人たちに、心からの感謝を直接伝えたいのとお礼として読者の方が聞きたいことに何でも答える場というものを作りたかったのです。

 

その時に何を話すか考えました。

 

ビル、店舗投資のこと。

 

エリアを集中させること。

 

いくらでも、あります。

 

でも、みなさんにわざわざ群馬の、しかも僕の地元である高崎市ではなく、もっと田舎の妙義町という山の中まできてもらうからには僕のとっておきのスペシャルなやつを用意したいと思いました。

 

それが僕の原点である、

 

人生計画セミナーであり、

 

運命のスタバ

 

の再現です。

 

人生計画セミナーについては、セミナータイトルを「不動産投資家のための夢を叶えるノート術」と変えて、僕がノートに自分の望む人生を書き続けたことで、本当に人生を変えた方法をお話ししますし、実際にみなさまに色々とノートに書き出してもらう時間も設けます。

 

そして運命のスタバ。

 

あの日、僕をスタバに誘ってくれたジム鈴木さんをお招きして2人の不動産投資のセミナーやあの日を思い出しながらの対談をやろうかなと思っています。

 

なんでジムさんを?と言われましたが上記のような理由からだったのです。

 

ジムさんのセミナーは、不動産投資の初心者の方にとって大変有益なセミナーとなると思いますし、僕のセミナーは僕の不動産投資のこと全般をお話します。

 

参加者のみなさまには、僕にとっての運命の日となったあの日を再現して体感してもらうことが日頃から僕のコラムを読んでくれていることの1番のお礼になるのではないかと考えました。

 

もちろん質問も時間が許す限り全てお答えしますので、たくさんご用意してきてくださいね。

 

そして、さらにはセミナー後は僕の所有ビルのテナントさんで夕食会を開催するつもりです。僕のビルを見て、みなさまに俺も私もできると思ってもらえるのではないかと思っています。

 

僕が本当に心からのお礼を込めてやるので、こういうのはそんなに何回もできませんし、やるものでもありません。

 

数年後はわかりませんが、今思っているのはこんなに濃い時間をご提供できるのは今回が最初で最期。

 

当日は沖縄、福岡、香川、岡山、京都など信じられないほど遠方からの方にもお申込みをいただいています。

 

今回お申込みの方からこんなメッセージをいただきました。

 

「広田さんを健美家コラムで拝見してから、この日が来るのを待ちわびておりました。」

 

期待されればされるほど燃える性格ですし、絶対に期待を裏切らないことが僕だと思っています。本当にスペシャルな1日にしますから、お楽しみにしていてください。

 

11月25日午前のセミナーは既に定員に達していますが、午後のセミナーはこれから募集開始となります。申込みは僕とジム鈴木さんのTwitterで告知いたします。

 

それではよろしくお願いいたします。

 

 

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LIFE IS CHALLENGE。

2017年2月1日。

マレーシア・ペナン島コンドミニアムの賃貸契約を開始した。

 

 

 

20代の頃から思い描いた海外移住を当初の計画よりも約10年遅れてなんとか実現した。

 

 

 

その間には、本当に色々なことがあった。

 

 

 

そのうちに移住は僕の中で具体的な目標から、いつのまにかいつか叶えばという夢になっていた。

 

 

 

実現できなくてもしかたがないやという夢へ。

 

 

 

 

もう移住することは僕の人生ではないだろうなと思い始めていた。

 

 

 

 

 

2012年5月8日。

自分の会社でランチを食べながら、布袋寅泰さんのブログにMac Book Airでアクセスした瞬間だった。

 

 

 

LIFE IS CHALLENGE。

 

 

 

と題されたブログに書かれた、ロンドン移住の決意。

 

 

 

 

自身の30周年ツアーで解禁したBOØWYのDREAMIN'という曲を観衆に歌っている自分自身が夢を諦めていないか。

 

 

と自分に問うようになって20代の頃に思い描いた英国での挑戦をしようと決意したというブログの内容だった。

 

 

 

50歳を過ぎての海外でのチャレンジ。

 

 

 

アルバムを作って、ツアーをして。を繰り返していれば成功を約束されているはずの人生を捨てて挑戦をしようとしている僕の10代の頃からのアイドル。

 

 

自分だけではなく家族、スタッフやスタッフの家族。たくさんの人を巻き込んでしまうチャレンジ。そして今まで築いてきた日本での実績。

 

 

それらすべてをリセットしての挑戦は、それは家族の心配と自分の収入だけを心配すれば良い一般の人の比ではないほどの困難なチャレンジであるはずだ。

 

 

 

 

僕は心を強く打たれた。

 

 

 

 

僕の海外移住は夢で終わらせて良いのか。

 

 

 

夢を夢のままで終わらせる人生でいいのか。

 

 

 

僕のスイッチは入った。

 

 

 

でも、僕にはそれを実現できるお金がなかった。

 

 

 

そして、どうすれば実現できるのか想像もできなかった。

 

 

 

 

 

2015年6月1日。

渋谷公会堂で、高城剛さんの「旅は、人を幸せにするのか」というトークライブがあった。子供二人を母に預かってもらって妻と二人で行ってきた。

 

 

 

LCCによって世界中の人が世界中に移動を開始して、僕が10代、20代の頃に訪れた自然豊かな南の島がすごい勢いで開発されていることを知った。

 

 

 

ずっと僕はいつかは南の島に住みたいと思っていた。

 

 

 

でも、それが実現した時には僕が思い描いている南の島はもう間違いなくなくなっているはずだ。

 

 

 

僕は、帰りの車の中で妻に本気で、

「もう待ったなしだ。行動を開始しよう。」と熱く語った。

 

 

 

2012年からの3年間の間に自分でも奇跡としか思えないほどの復活を遂げていた僕には、お金も時間もあった。

 

 

 

でも、具体的にどこにどうやって移住して良いかわからない。

 

 

 

 

2015年7月21日。

朝、大学サッカー部の親友、友近君から1通のメール。

 

「ハワイの不動産セミナーがあるよ。」

 

と。

 

 

赤井誠と行く「ハワイ不動産セミナー&物件ツアー」inハワイ

 

 

というその転送された案内メールを見た1秒後に僕は申し込みフォームに記入を開始した。そして参加費の振込みもすぐに終えた。

 

 

 

妻に相談をしていなかったけれど、「ハワイだから一緒に連れて行けば文句はないだろう。ちょうど結婚10周年&1棟目のビルの借入完済ということでその記念と言えば完璧だ。」と思った。

 

 

 

ちょうどその頃の僕は、不動産投資では物件を購入できるレベルはクリアして、次のステージとして赤井さんのように財務にこだわって投資をしたいと考えていたので2015年の2月に僕は赤井さんのセミナーに参加するためだけに札幌まで行っていたのだ。

 

 

 

でも参加者は100人以上でとてもではないが落ち着いて質問をできる状況ではなかった。それにそんな時に赤井さんと話してもその他大勢のうちの一人としか認識されない。そういうのは僕は嫌だった。

 

 

 

高額なセミナー参加費と旅費、そして時間、これだけのものをクリアしてハワイに行ける人は決してそう多くはないはず。だからハワイの不動産もそうだけれどハワイに行けば、赤井さんとゆっくりと話ができると思った。

 

 

 

 

 

2015年11月。

ハワイでは運命を変える出来事だらけだった。

 

 

 

初日のセミナー後の夕食会で健美家の社長とお話しさせていただいた時に、「張田さんという方は、マレーシアに移住していますよ。」と教えてもらった。この時に、初めて張田さんを知った。

 

 

(でもその時は、マレーシアは僕の中では「ないな。」だった。昔シンガポールに住んでいた時にジョホールバルで食中毒になったのと、食事も文化も中華系が強いシンガポールと比べて、マレー系が強いマレーシアは僕にはあまり合わなかったから。)

 

 

 

そして、「お仕事はお休みされて来たのですか?」と声をかけてくれてはじまった編集の方との出会い。この出会いがなければ、今も僕は群馬の田舎で変わらない毎日を過ごしていたかもしれない。

 

 

 

赤井さんと親しそうに話をしていた現地の綺麗な女性を見て、赤井さんのように不動産投資も男性としても成功すると誓った。笑(でも、そのロコガールにしか見えなかった女性は赤井さんの奥様とあとで聞いてびっくりした。)

 

 

 

最終日夜のエバンさんの自宅でのバーベキューが僕の海外移住のイメージをリアルにし、欲望に火をつけた。

 

 

 

 

2016年3月。

健美家コラム第5話でも書いたマレーシアで張田さんに会ってもらったこと。

https://www.kenbiya.com/column/hirota/05/

 

 

張田さんの自宅の窓から見えたマレーシアの海を見ながら僕もこの海を眺めながら、健美家のコラムを書くと誓ったこと。

 

 

 

マレーシアの中でもペナン島は例外的に食事も文化も中華系色が強い。僕が滞在していた1999年のシンガポールに似た印象だった。

 

 

 

赤井さんはハワイのことを奇跡の島といったけれど、僕にはペナン島がハワイのように思えた奇跡の島だった。

 

 

 

ここに移住しよう。

 

 

 

 

一瞬でそう思った。

 

 

 

 

 

 

2017年8月。

 

実は、昨年12月末に妻のお父さんが亡くなり予定していた4月からの家族での移住は延期となりました。(でも4月に移住を計画していたので2月から賃貸契約をしたのです。)

 

 

 

なので僕は今年に入ってペナンと日本を行ったり来たりしていましたが、いよいよ数日後。

 

 

 

 

新盆を終えてから、家族4人で一緒にペナンへ。

 

 

 

 

 

思えば海外移住をするための金銭的な問題をクリアしても、さらなる壁がありました。

 

 

 

 

メンタル的なブロックです。

 

 

 

 

本当に海外に住んでいいのか。

 

 

 

 

 

今までの人生も仕事も自分なりに丁寧に積み上げてきたつもりでした。

 

 

 

 

決して簡単に捨てられるほど軽いものではありません。

 

 

 

 

そして移住することで家族の人生まで狂わせてしまうことになってしまうのではないか。

 

 

 

 

本当にそれでいいのか?

 

 

 

 

そんな声がいつも聞こえてきます。

 

 

 

 

それは出発の日が近づけば近づくほど僕にリアルに問いかけてきます。

 

 

 

 

しかし、そんな時に思い出すのは僕のアイドルの

 

 

 

 

LIFE IS CHALLENGE。

 

 

 

というあの日のブログ。

 

 

 

 

1度きりの人生です。

 

 

 

 

怖いのは何かに失敗することよりも、いつまでも本当の自分の人生が始まらないこと。

 

 

 

 

 

半年で日本に帰ってくることになるのか、永遠に帰ってこないのか。

 

 

 

 

今は全くわかりません。

 

 

 

 

そんなことは考えずに今はただ、

 

 

 

 

家族4人で南の島に住む。

 

 

 

 

それを数日後に叶えることができる幸運と、

 

 

 

 

それまでの数々の出会いに深く感謝を。

 

 

 

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