walk on the blue ocean.

book,music,movie&investment

熱狂的に生きるために。

日本に帰国しています。

 

今年のクリスマスイブに発売された、

ぼくのアイドルであるBOØWY

ブルーレイを観ながらこのブログを書いています。

 

VHSからDVD、DVDからブルーレイへ、そして今回の35周年バージョンではブルーレイの映像、音質処理がさらによくなったものが解散宣言をした日である12月24日に発売されたのです。

 

同じライブの内容ではありますが、大好きなものだから質には徹底的にこだわりたい。だから3回も4回も買い直しています。

 

42才にもなって中学生の頃と同じ熱量で自分の好きな人やコトに夢中になっている自分のことを周りは呆れ笑いますが、僕はそんな自分を誇りに思っています。

 

このブルーレイは解散宣言をした当日のライブ映像なのですが、1秒ごとに最後へと向かう悲しみと狂気と疾走感に僕はいつも観るたびに胸が苦しくなります。

 

何度観ても、このままずっと終わらないでくれと祈ってしまう自分がいます。

 

ラストのDREAMIN'の前に解散宣言を氷室さんがするわけですが、今回の映像処理のおかげでその時に氷室さんの頬から涙がこぼれ落ちていたことが分かりグッときてしまいました。

 

さて、そのBOØWYですが1、2作目のアルバムは少し垢抜けていないような野心ムキ出しな感じでまだどこか洗練されていなかったのが、3作目で東芝EMIに移籍、ベルリンで佐久間正英さんをプロデュースに迎えレコーディングをしたころから、いよいよ原石が磨かれて光り輝き出してきたようなイメージがあります。

 

ぼくも健美家コラムを書かせていただき2年が終わろうとしています。ぼくの原稿はプロのライターさんに編集していただいているので、いわゆるプロの方にプロデュースをしてもらうということの力はとても大きいと実感しています。

 

試行錯誤した2作(2年間)を経て、3作目(3年目)で僕の健美家コラムもBOØWYのようにブレイクしたい。

 

そんなことを考えています。

 

それでは、2017年が終わる前に僕からみなさまに1年間のお礼に僕の人生に影響を与えてくれた本をご紹介します。

 

投資やお金のことに関する本はまた健美家さんのコラムで紹介します。

 

今回は、健美家さんのコラムで紹介できないものを。

 

 

1.落合信彦さんの本どれでも

 

最近では息子の落合陽一さんが有名ですが、20年前の大学生だった僕は落合陽一さんの父親である落合信彦さんの本を読んでは胸を熱くしたものでした。

 

アメリカへ渡りオイルマンとなりメジャー相手にやりあった経験をもとに書かれた文章は、気持ちが高ぶり人生を熱狂的に生きずにはいられなくなるほど熱量の高いものでした。

 

著作が50作だか、100作だかわかりませんが僕は全部読んでいます。

 

今年、ペナンと日本を往復することが多くなり僕は飛行機に乗るときに数年ぶりでしたが下の写真の本を機内で読みました。

 

f:id:kentarohirota:20171230184023j:image

 

この本の中にあった、飛行機の中で本の原稿をチェックする落合さんの写真を見て僕も真似して飛行機の座席で本の企画書を練ったものです。

 

この本を読んだ後、自宅にあった落合信彦さんの本を全部引っ張り出して読んでいます。捨ててしまっているものもたくさんあったので15冊くらい買い直しました。(ブックオフで100円です。)

 

2018年を熱狂的に生きたいと思っている方には是非とも1度読んでいただきたいと思います。どれを読んでいいかわからない方は、ピンときたタイトルを手にとってはいかがでしょうか。どれも間違いないから問題ないです。

 

どの本を読んでも自分の世界の小ささに打ちのめされて、もっと大きく生きようと思うはずです。

 

 

それでは、2017年は本当にお世話になりました。11月に読者の方にお会いできたのが何よりの思い出です。

 

2018年もよろしくお願いいたします。

 

お知らせ。

あれからも毎日考え続けて、ハッキリと決めました。

 

ブログに書きたかったことは、自分が出す本に書きます。

 

今年3月に初めて声をかけていただいた出版社さまとの企画がスムースに進まず、再び動き出すまでしっかりと準備をしておこうとブログを書き出しました。

 

しかし、先日ある方のおかげで2社目の出版社さまとご縁ができて、僕が提出した資料をもとに一昨日その企画の叩き台をいただきました。

 

今年の残り3ヶ月は、その企画を無事に完成させることに全精力を注ぎたいと思います。

 

そのために年内のブログ更新はお休みさせていただきます。

 

いつも言っていることですが、今の僕にとって一番大切なのは健美家のコラム。

 

ここは、時には過去の自分の不動産投資を振り返ってみたりしながらも今の自分の不動産投資への考え方、結果、全てを発表させていただく場所です。

 

そして健美家コラムに費やす時間とエネルギー以外の全ては、今回の企画を通すこと、そして本の原稿を書いていくことに集中します。

 

自分の色々なエピソード、そこから学んだこと、確立したスタイル、スタンス。

 

僕の42年間全てを詰め込みます。

 

刺激的で、かつ時代に左右されない泥臭さ。

 

それらを全て完成させてから読んでいただきたいと思います。

 

もしかしたら、プロモーションとして途中の文章を読んでいただいたりするような形もあるかもしれません。その時はこのブログで。

 

とにかく、あれもやる、これもやるで中途半端なのは僕のスタイルではありません。

 

狙いを定めて朝も夜もなく無我夢中で取り組む。

 

息抜きと言ったら読んでいただく方には失礼だけど、そんな時にはTwitterはやろうと思います。

 

初めて声を掛けていただいた出版社さまもすごい大手だったけど、今回の出版社さまも負けないくらいの大手出版社さま。

 

ここでやらなきゃ、いつやるんだという気持ちなのです。

 

せっかくブログの更新も10回を超えて、これからという時でしたが、続きは僕の本でよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SNSについて。

7月に始めたこのブログも3ヶ月継続できて10月になりました。

 

 

2017年も残りわずか3ヶ月です。

 

 

今年の残り3ヶ月をどう過ごすのか。

 

 

5月に始めたTwitterも3ヶ月継続して8月から一時休止しました。

 

 

その後ペナンの日々を記録として残しておきたいと再開はしました。

 

 

 

しかし、やはり思うのです。

 

 

 

日々、ただ消費されるだけのSNSは積み重ならないし、エネルギーのロスになるだけだと。

 

 

 

僕の大好きなアーティストにSADEというバンドがいます。

 

 

 

大学一年生の時、僕はバレンタインデーにチョコをもらっていない女の子に、当時発売されたばかりのSADEのベストアルバムをホワイトデーの日にプレゼントしました。

 

 

 

アーバンでセクシーでラグジュアリーな音楽。

 

 

 

当時、群馬から出てきたばかりの田舎者の僕が思い描いていた東京っぽいカッコイイ女の子にピッタリだと思ってプレゼントしたのです。

 

 

 

そんなSADEは、グループを結成してから約25年の間にリリースしたアルバムは6枚のみ。

 

 

2010年に出たのが最後ですから僕のようなファンは最新アルバムを7年待たされていることになります。

 

 

 

その前に出たアルバムが2000年ですから、21世紀に入って2枚しかアルバムを出していないということになります。

 

 

しかし、全世界中のファンから彼女たちのニューアルバムやコンサートツアーは今も待ち望まれています。

 

 

僕も次回のコンサートツアーは世界中どこでやろうと全部行きたいと思っているくらいです。

 

 

 

正反対に毎年のようにニューアルバムをリリースしてツアーを重ねるアーティストもいます。

 

 

 

どちらがどうこうではなくて、スタンスの違いだと思います。

 

 

 

僕は、どうしてもSADEのスタンスに憧れます。

 

 

 

SNSと距離を置いてシンプルな日々を送る。

 

 

 

SNSをしないで自分の日々の出来事や感情をノートに書き連ねる。

 

 

 

そしてそれらを丁寧に1つの作品に仕上げる。

 

 

 

それができるのはSADEに圧倒的な音楽センスと世界中のファンの期待を裏切らない作品を発表し続ける実力があるから。

 

 

 

普通なアーティストだったら、今の時代にそんなスタンスならあっという間に人々から忘れ去られてしまいます。

 

 

 

僕が不動産投資で結果を出せたのも、数年間全てを遮断し不動産投資の研究に没頭した日々があったからだと思っています。

 

 

毎日少しずつエネルギーを分散させてしまっていては、何も成し遂げられないというのが僕の持論です。

 

 

 

そんな小さなエネルギーではなく、積み重ねたマグマのような満たされない想いを1つの作品にして世界にぶつけたい。

 

 

 

先週、シンガポールからペナンに戻った僕がブログを更新した瞬間にTwitterにいいねを押してもらいました。

 

 

あまりにもタイミング良すぎるなと思っていたら、何回も更新してずっと僕のブログを待っていてくれたとのメッセージ。

 

 

あの日、更新が遅くなるから次の日に見てくださいと告知しておいたのに、ずっと待ってくれていたその方の熱さに僕はすぐにでも日本に戻って直接お礼を言いに行きたいと思ってしまいました。

 

 

 

毎月2回の健美家コラムの更新、週1回のブログの更新、そして毎日のTwitter

 

 

 

今の僕にとっては、どう考えてもトゥーマッチです。

 

 

 

どれもがそこそこ上手くいってしまっているかもしれない。

 

 

 

でもそれは、非常に危険な状態だと思っています。

 

 

 

どれもそこそこというのは、とびっきりがないたいうこと。

 

 

 

僕はアベレージではなく、極端で行きてきた男。

 

 

 

出版をするのに著者自身でSNSをと言われて期間限定で始めてみたSNSですが、僕は自分を分散させずに集中するためにも月2回の健美家さんのコラムに全てを注ぎたいと思いました。

 

 

 

 

昨日今日の決断ではなく、暫くずっと考えていました。

 

 

 

このまま僕がその他大勢の方に埋もれて忘れ去られるかどうかは、これからの自分次第です。

 

 

何度もやりますと言ったり、やめますということほどみっともないことはありません。

 

 

しかし、僕のTwitterをフォローしてくれている方を見ると僕をフォローするためだけにTwitterを始めてくれた方が1人や2人ではありません。

 

 

そういう方のことを考えると、いくら期間限定と宣言していたものの、一方的に突然やめるのもどうかと心苦しくなります。

 

 

そして、いつも僕の心の中でグルグルしてしまうのです。

 

 

 

それでも、このままダラダラとすることほどみっともないこともありません。

 

 

 

僕の10代からのアイドルであったBOOWYは売れるようになるまで、いつも満たされない思いでいたそうです。

 

 

あんなバンドより俺たちの方が、ずっとカッコイイ。

 

 

そんな思いを胸に数え切れないほどの煮え湯を飲んで、飲まされてきたそうです。

 

 

しかし、不遇の日々をエネルギーに変え一気に人気は爆発。

 

 

頂点を迎えたと同時に突然解散をして、解散してからは30年が経っても誰よりも人気が色褪せないバンドです。

 

 

もうこれ以上は説明はいらないでしょう。

 

 

 

僕が影響されてきた世界観は全て極端であり、僕はそこそこや平均を嫌うのです。

 

 

 

しかし、同時に今の僕はこれからの生き方を見つめ直している時期です。

 

 

 

もう一度、エネルギーを分散せず深い集中に戻るのか、今のこの分散のような状況に違和感を感じなくなるまで頑張るべきなのか。

 

 

 

今年中には答えを出したいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

時計を外して③

94年初夏。

 

ツボタさんと初めて会ったのは、大学一年生のサッカー部の練習が休みの日のとても暑い午後の日のことでした。

 

クラウディースプーンという青梅街道沿いのコンクリート打ちっ放しのマンション203号室に住んでいた僕は、自分の部屋の玄関を開けて短パン1枚で自転車を磨いていました。

 

気持ち良い風がベランダから玄関にかけて抜けていくので玄関を開けておいたのです。

 

それが、ふとした時に強い風でオートロックの玄関が閉まってしまいました。

 

上半身裸の短パン1枚で他に何も持たずに玄関の外に置き去りになってしまった僕は、しばらく呆然と立ち尽くしながらも意を決して駅前の不動産屋さんまで自転車で全力ダッシュで行こうと決めました。

 

幸いにも運動部の学生が多い東伏見という土地なので、初夏の午後に上半身裸で自転車に乗っている学生が1人くらいいても平気だろうと。

 

不動産屋のおじさんも僕が運動部だって知ってるから、突然裸で行っても事情を話せば大丈夫だろう。

 

 

 

その時に、ふと「いい体してるね!何か運動でもしてるの?」と後ろから声がしました。

 

マンションのエレベーターから降りたばかりの明石家さんまさんに似た雰囲気をしたお兄さんが僕の部屋の前に向かって歩いてきました。

 

「サッカーをしてます。いま、部屋の鍵を持たずに玄関が閉まってしまったんです。」

 

「そっか。僕は201号室のツボタといいます。よろしくね。ベランダの窓の鍵はかかってる?」

 

「いえ、空いています。」

 

「じゃあ、僕がベランダから部屋に入って玄関を開けてもいいかな?」とツボタさんは言いました。

 

ツボタさんはとび職をしていて、車にハシゴがあるからと言って、ベランダにハシゴをかけてスルスルっと登ってわずか数分の間に僕の部屋に入って玄関のカギを開けてくれました。

 

あまりの軽い身のこなしと仕事で鍛えられた細く筋肉質な身体、そして初めて会ったばかりの年下の僕に対する柔らかい物腰、僕は一瞬でツボタさんのファンになりました。

 

「ところで、君はサッカー部に入れるなんてすごいね。」

 

「いえ、まだテストに合格していないので、合格に向けて頑張っている毎日です。」

 

「ああ、そうなんだ。じゃあ、がんばってね。」

 

ツボタさんはそう言って爽やかに去って行きました。

 

 

僕はツボタさんの優しさに本当に感動しました。

 

 

20年以上経過して今もハッキリとあの日のことを覚えているくらいに。

 

 

 

それからも僕の部活の帰りとツボタさんの帰宅が重なってお会いした時、1ヶ月に1回くらいでしたが、ご挨拶をしていました。

 

 

その後、僕はなんとかサッカーの入部テストにパスすることができたものの地獄のような真っ黒な毎日は続いていました。

 

 

明日こそはやめてやる。

 

 

ある日、そう思って部屋を出て夕食を食べに行こうと僕がエレベーターに向かうと、エレベーターからツボタさんが出てきました。

 

 

ツボタさんは、仕事から帰ってきたタイミングみたいで手にはおそらく夕食が入っていると思われるマンション近くのファミリーマートの袋を持っていました。

 

 

「おお、広田くん。その後どう?」

 

 

「おかげさまでサッカー部に入部できました。でも、あまりにも厳しくてもう限界です。やめたいやめたいと毎日思っているんです。」

 

 

ツボタさんは、少し残念そうな顔をして、それから何かを思い出したように、コンビニの袋から何かを取り出しました。

 

 

「そんな時は、この本を読んでみたらいいよ。じゃあね!がんばって!」

 

 

僕の手に文庫本を手渡して、それだけ言い残すとすぐに部屋に向かって歩いていってしまいました。

 

 

 

コンビニで買ったばかりの本だったのでしょうか?

 

 

それとも読みかけの本だったのでしょうか?

 

 

今となってはそれは分かりませんが、僕はツボタさんから1冊の文庫本をいただきました。

 

 

次回、時計を外して④に続きます。

 

 f:id:kentarohirota:20170924231129j:image

 

家族でペナンに移住して1ヶ月が経ったお祝いに、シンガポールに行ってきました。

 

ペナン島からシンガポールまで1時間20分の直行便で、チケット代は往復で1万円もしません。

 

夢のような生活です。

 

 

夢を諦めきれない男たち。 〜時計を外して。②〜

「今から20年後、30年後、40年後には人生は終わるんだ。やるしかない。」リップス(アンヴィル

 

 

 

かつて若い頃に

 

 

 

同じステージで一緒に共演したこともある

 

 

 

ボン・ジョヴィガンズ・アンド・ローゼズ

 

 

 

世界的なロックスターに。

 

 

 

 

 

「ロックスターになるんだ!

 

 

バカな夢だが絶対に

 

 

叶えてやるんだ。」

 

 

 

と、50歳を過ぎてなお、

 

 

感情を抑えきれずに

 

 

自分の想いを込めて

 

 

テーブルを拳で叩く。

 

 

 

 

 

給食の宅配員と

 

 

 

建設作業員をしながらも

 

 

 

バンドを続けている2人。

 

 

 

 

 

彼らは30年もの

 

 

 

気が遠くなりそうなほどの長い間、

 

 

 

それでも夢を諦めない。

 

 

 

 

僕は、

 

 

この映画のDVDを

 

 

約1年ほど前に

 

 

レンタルして観た。

 

 

 

 

 

僕は、

 

 

 

僕の人生が終わるときに、

 

 

 

自分が良くやったと

 

 

 

言えるだろうか。

 

 

 

 

 

家族と

 

 

 

生活と

 

 

 

少しの遊びの為だけに、

 

 

 

お金を稼いで人生が終わる。

 

 

 

 

そんな人生で良いのだろうか。

 

 

 

そんな人生を過ごすために

 

 

 

僕は生まれてきたのだろうか?

 

 

 

僕は冗談じゃないと思った。

 

 

 

 

 

僕はそれまで

 

 

 

映画のDVDなんて

 

 

 

買ったことがなかったけれど、

 

 

 

この映画のDVDは買わずにはいられなかった。

 

 

 

 

いつも手元に置いておき、

 

 

 

彼ら2人の燃えるような情熱に

 

 

 

いつでも触れられるように

 

 

 

しておきたかったから。

 

 

 

 

 

ここまでは、2011年7月に僕が書いたブログです。

 

 

 

 

この「アンヴィル」という映画を観た2010年ごろの僕は金銭的にも精神的にも人生のどん底で、DVD1枚5000円を出すお金もなかったほど。

 

 

 

それでも、この映画のDVDは買わずにはいられなかった。

 

 

 

50歳を過ぎてまで、自分の人生を諦められずに夢のために肉体労働をする2人。

 

 

 

ここまで自分の夢に本気になれるだろうか。

 

 

 

みんな、どこかで自分の夢に折り合いをつけて、夢見た人生とは違うウソの人生を送る。

 

 

 

7年前の自分と比べて今の僕は?

 

 

 

お金も時間も得た。

 

 

 

好きなことも、

 

 

好きな食べ物も、

 

 

好きな場所へも

 

 

思いのまま。

 

 

 

 

いつでも、

 

 

どこでも

 

 

なんでもできる。

 

 

 

 

そんな自分になれたのに、

 

 

 

今の自分はいったい何をしているんだろう?

 

 

 

 

7年前にお金がなかったときに、

 

 

 

お金ができたらやろうと思っていたことって、

 

 

 

こんな程度のものだったのだろうか?

 

 

 

 

泥だらけになってでも

 

 

もう一度、

 

 

挑戦したかったことがあるんじゃなかったのか。

 

 

夢を、

夢で終わらせてしまう人生で良いのだろうか?

 

 

 

この映画を観たときの心震えるような想いをもう一度胸に、次回、時計を外して③に続きます。

 

 f:id:kentarohirota:20170917200200j:image

写真はネット上から。いつも僕は自分が撮った写真しか使いませんが、今回はDVDの裏側のジャケット写真である僕が大好きなこの写真以外にタイトルを表せる写真がないのでこちらを使用しました。

 

泥だらけの日々。 〜時計を外して①〜

今回でブログ10回目となりました。

 

1回1500字前後で1つのテーマを決めて、サラリと軽快に読みやすいものを週に1回書きたいなと思って始めました。

 

が、始まってみたら、今の僕にそんなサラリとした文章を書ける能力はなくて、いつの間にかドロリとした泥臭い内容と長い文章になってしまっていました。

 

そこで、開き直って今回から少し泥にまつわる話を。

 

この話はちょうど1年前の健美家コラム第14話に書いた伊集院静さんの「時計を外して」という本の話につながります。

 

僕は本当はおぼっちゃま系の大学に行きたかったことは以前のブログで書きましたが、僕的にはビリギャルをも上回る努力と奇跡で早稲田大学に合格しました。(僕の中ではビリギャルを認めていないのでまだ観てません。)

 

1994年4月。

 

大学生活が始まったばかりの頃に大学の掲示板の前で、周囲の存在感とは別次元の光り輝く人物を見つけました。

 

高校サッカーで有名だった愛媛県南宇和高校の友近君でした。

 

スポーツをする高校生にとって、夏の甲子園と双璧をなす冬の全国サッカー選手権大会で2年生の時にベスト4に進出し、2年生で一学年上の有名選手ばかりが選ばれている日本高校選抜に選ばれた男。

 

僕ら昭和50年生まれの中では、当時は後に日本代表で活躍する城選手や川口選手よりも有名でした。

 

彼ほどの人物だから前の年に始まったばかりのJリーグに行くと思っていましたが、早稲田に進学するということが春休みに読んだサッカー雑誌に書かれていました。

 

その彼を僕は、大学の掲示板の前で見つけたのです。

 

僕は思わず、「友近君だよね?」と声をかけてしまいました。

 

今思えば、僕の人生初のナンパでした。

 

あの時から今も続く彼との関係を思うと、あの時の出会いって物語みたいに決められていたのかなと思います。

 

さて、しかしその後、そんな出会いがあったのに僕は足を怪我していたこともあったりしてサッカー部の入部テストを受けることを諦めました。

 

そのことを群馬にいる父に電話で報告したところ、とても残念がっていました。

 

が、僕は大学ではサッカー部に入らない。その時はそういう人生を選びました。

 

そしてその後、群馬の同郷の先輩が立ち上げたサッカーサークルに声を掛けてもらい入りました。

 

てきとうに練習をして飲みに行って誰かの家で昼まで寝て。ただひたすら楽しい毎日。

 

ゴールデンウィークには河口湖でサークルの合宿まで経験しました。

 

しかし憧れていたはずの、楽しいはずのサークル生活も1ヶ月もしないうちに虚しさを感じるようになりました。

 

どんなに苦しくても本気でサッカーをしたい。

そのことに気がついた時には、もう手遅れでした。

 

もうサッカー部の新人募集の期間は終わっていました。

 

しかも、僕らの年は15人前後の枠に全国から足に覚えのある100人近くの希望者がトライして皆途中で入部テストの苦しさに諦めて去っていったと、テストを受けて挫折して帰ってきたばかりだという同じサークルに入ってきた同じ1年生の話を聞きました。

 

僕の大学生活はこれからどうなってしまうんだろう。

 

ゴールデンウィーク明けに、大学の体育のサッカーの授業が僕の自宅近くの東伏見のグランドで行われました。

 

せっかく父と探して決めたサッカー部に入る前提で借りた、サッカー部の練習が行われる東伏見のグランドの近くの僕の一人暮らしの部屋も、サッカー部に入部できない今の僕にとっては何の意味もありません。

 

そんな虚しさを感じながらも出席した体育の授業レベルのサッカーで僕はダントツでした。面白いように1人で突破してシュートを決めて。

 

特に、授業終了直前に左足のアウトサイドでゴール右上隅にカーブをかけて入ったゴール。

 

僕の人生で最も美しかった奇跡のようなゴールでした。

 

いえ、実際に奇跡を起こしました。

 

授業が終わって全員の前で、体育の先生に声を掛けられました。

 

「おまえは、どこでサッカーをしていたんだ。」

 

「なんでサッカー部に入らなかったんだ。」

 

僕は、

 

「足を怪我していて入部テストは受けられなかったが、サッカー部に入れるなら入りたい。」と先生に伝えました。

 

そうしたら、周りも騒然とした一言が。

 

「俺が言ってやるから、お前はグランドに残れ。」

 

その先生は後で知ったのですが、サッカー部OBの中でも有名な吉田先生という人でした。

 

当時のサッカー部の監督であった松永監督に、「アキラ、こいつ速いからサッカー部に入れろ。」なんてことを言える人はなかなかいません。

 

でも僕はその一言で、僕はサッカー部に異例の合流をすることができました。

 

でも、そこからが地獄の始まりでした。

 

特別扱いで入部するチャンスはもらいましたが、入部テストを受ける権利を得るための新人走りが待っていました。

 

それだけではありません。ほかの1年生と同様、朝早くからグランドに出て夕方の練習開始までひたすらグランドを整備する毎日。

 

雨が降って泥だらけの田んぼのような、ときにはアスファルトのように硬くなったグランドをとにかく上級生が最高の環境で練習できるように何時間もトンボをかける。

 

小石が1つでもグランドにあったら、練習後に新人特訓という脱走者が出るほどのシゴキが待ち構えていると脅かされながら。

 

練習前に、グランド整備で体力も気力も使い果たしているのに練習が始まったら、今度は入部テストの資格を得るために、ただひたすら走らされる。

 

練習が終わったら、また終電近くまでグランド整備。

 

それが終わったら、日付が変わりそうな時間に入部テストに向けて誰もいないグランドで走り込み。

 

それが終わったらグランドの照明を消して、ボロボロになった身体をグランドの隣にあったラグビー部と一緒に使っていた風呂に入って帰る。

 

特に僕の一人暮らしの部屋は、ユニットバスでしたから、足を伸ばして肩まで浸かれるグランドの風呂はありがたいものでした。

 

しかし、サッカー部、ラグビー部の先輩達が何十人も入り終わった最後の風呂は真っ黒の泥だらけ。

 

シャワーだけで帰った方が綺麗なのですが、疲れた身体から少しでも疲労を取り除くために汚いのを承知で泥風呂に浸かる。

 

それでも先輩達もいない風呂は心からリラックスできる唯一の時間で、当時はそんな泥風呂が天国に思えました。

 

今となってはよくあんな汚いところに。と思いますが、同時に、あんなに汚くて臭くて仕方がなかった泥風呂が懐かしくて恋しくて思い出すだけで涙が出そうになります。

 

話を戻すと、朝から晩まで文字通りずっと泥だらけな毎日でした。父から体育会の1年は奴隷と同じだからと言われていたから覚悟はしていましたが本当に毎日が限界でした。

 

全てが終わって、一人暮らしの部屋に戻るとベッドに倒れて泥のように眠ります。

 

ある晩、遠くから音が鳴っているのが聞こえました。

 

しばらくしてそれが夢の中ではなくて、玄関のチャイムだと分かりました。

 

 あまりの疲労にしばらく放っておいても、そのチャイムは鳴り止みません。

 

夜の1時を回っていたと思います。

 

玄関のドアを開けてみると、サークルの先輩や仲間達が10人くらいいました。

 

そしてサークルを立ち上げた同郷の先輩、達也さんが酔っ払ってベロベロになりながら「健太郎をサッカー部なんかにやらねえぞ。」と熱く大声で叫びます。

 

今から考えると僕は本当にあの時の皆さんに失礼でしかなかったのですが、思いっきり迷惑そうな顔で「疲れているんです。」と言い放ちました。

 

それでも達也さんが熱くサークルに戻れと叫びます。周りの人たちが達也さんを止めながら、「健太郎はサッカー部に入るために頑張っているのだから帰ろう」と言ってくれました。

 

その日はそれで終わったのですが、今思うとなんで一言お礼を達也さんに言えなかったのだろうと思います。

 

達也さんは、同じ群馬の後輩に自分のつくったサークルを将来的には託したかったのかもしれません。

 

本当に1ヶ月だけでしたが、達也さんには可愛がってもらいました。

 

そんな先輩にあんな態度を取ってしまったなんて。わざわざ僕のために来てくれたのに。

 

少し話は飛んでしまいますが、あの94年から20年後の2013年。

 

ある日ヤフートップニュースに、AKBの大堀恵さん結婚という記事を見つけました。

 

アイドルグループに興味のない僕が珍しくクリックしてみると、放送作家金沢達也さんと結婚。という記事でした。

 

まさか、まさかとは思いながら写真を見てみるとあの日僕をサークルに戻そうと僕の家にまで来てくれた達也さんでした。

 

さて、もう今回は3500字を超えたので次回に続きます。

 

僕の泥だらけの日々はまだまだ続きます。

 

f:id:kentarohirota:20170910194326j:image

 

 

 

 

ロードマップを持っていますか?

今回ブログを書くと決めた時に1年間は続けようと思いました。

 

今まで何回ブログを立ち上げたか分からないです。でも、やろうと思った時の目的を達成すると終わりにしてしまうのです。

 

今回はブログを始める前、ペナンへ向かう飛行機の中でノートに52週分のテーマを書き出してみました。

 

そこで52個書きたいテーマがあったので、じゃあ続けられる、始めようということにしました。

 

でも、テーマ通りに書いたのは2回くらい。あとは、その日の気分で書いています。

 

健美家コラムのオファーを頂いたときも、1年24回分のテーマを書いてみました。

 

起承転結みたいに、自分で1年の流れとか季節とかを考えながら、ここでこういう流れを作ってこうやって、ああやってと。

 

でも、その通りにできたのは最初の3回くらい。

 

どうしても毎日自分の考えることは違うし、色々なことが起こるし、起こすし、1番最新の自分が考えていることや感じていることを書きたいから、ストックとして書いておいても次の週に読んだら、つまらなくなってストックしておいた文章を捨てたりもしてしまうし。

 

でも捨てるのに惜しいのは取っておくと、しばらくして読んでみて半分くらい変えたら面白くなるなとか思えたり。

 

だからいまは、とにかく仮に使えないとしても大量のデモテープを作ることに専念しています。

 

いまの気持ちや感性は今しか残せないわけで。

 

音楽アーティストが大量の楽曲を作っているイメージです。

 

これらのデモテープがいつの日かミリオンセラーになることを夢見て。

 

テープではないから、デモノートかな。

 

話を戻します。

 

僕は何かを始める前に、最初にお話ししたようにその時の自分なりのロードマップを作ります。

 

でも、ほぼその通りに進まない。

 

でも、僕はそのロードマップを作ること自体が大切だと思っています。

 

それを作るから全体のイメージができる。

 

そして、それを超えようと思うから違うことをやってみる。

 

やってみて、これはマズイと思ったら当初計画したロードマップに戻れば当初計画した最低ラインはクリアできる。

 

僕は文章を書くということを誰にも習っていないし、そういう講座に行こうとも思わない。

 

僕らしさがなくなってしまうだろうから。

 

10のうち9がダメでも、1がとびっきりにカッコイイ。

 

高校サッカー部の先生にもFWは10回勝負して最後の1回に勝てば良いと言われて僕は育った。

 

平均的な文章ではなくて、極端に自分の主張を貫く文章。

 

そして誰にも媚びず、誰とも群れない文章。

 

そんなのを目指してます。

 

もう一度、話を戻します。

 

当初、自分が立てた計画通りに進まないのはコラムやブログだけではありません。

 

不動産投資もそうでした。

 

人生計画もそうでした。

 

でも、計画通りにいかないからといって、計画を立てなければ、それが計画通りにいったのかいってないかも分からなくなる。

 

だから、僕は計画を立てることは絶対に必要だと思ってます。

 

時には何日もホテルに缶詰めになって1年間の計画を立てて、そこまでして立てた計画なのに立てた後は無視します。

 

その時の自分が完璧に立てた計画だけど、立てることに意味があって、それに従うことはつまらない。

 

人生もビジネスも自由。

 

子供のように自分の感情に素直に従う。

 

その時その時の直感や気持ちに従って、嫌なことはしないのです。

 

でも、数年してから振り返ると、その時は脱線しているようでも、大きく遠回りをしながらも、その計画を達成しているから不思議です。

 

 

今回は計画を立てて、あえてそれに従わない、しかし数年後、なぜかその計画を達成しているということを書いてみました。

 

僕の11月25日午前中のセミナーでは、そんなことをお話ししたいなと思ってます。

 

f:id:kentarohirota:20170903210658j:image